期待という無責任な圧力
Watanabe.Y
松田聖子と中森明菜 中川京介著 幻冬舎新書
この本を読んでしまうほど、バッチリ80年代アイドルテレビっ子のわたしが
大晦日の紅白歌合戦を観ずにいられるわけがありません。
明菜派のマツコデラックスも言っています。
中森明菜のあの様子はとても「元気に復活」には見えない。
病んでいるっぽい。
もともとこんな感じ。
そうとも言えて、そこが魅力の一つであったりするのでしょうけど。
ひとは残酷。
もうそっとしておいてあげればいいのに。
もう、いいんじゃないって思ったり。
でも、
中森明菜がでるからといって観てしまうわたしのようなひとが、
こうして視聴率をあげてしまうのです。
復活の舞台裏といって先日放送のNHK番組も、観てしまいました。
無関心になるのがいちばんいいのに、注目するから、本人も取り巻きたちも、それを「期待」ととらえ、無理矢理、ひとめにさらし、潰れていく。
ひとをつぶすのは、期待という無責任な圧力であったりするのかもしれません。
圧力は罪。
わたしたちも日常的にやります、平気で。
無責任に圧力をかけること。
誰々の、何々の、期待に応えるため。
じぶんの最大限のパフォーマンスを。
みんなが喜んでくれるなら。
そう言って、そのひとは潰れていきます。
あーあ、
恐いけど見てしまう。
嫌いだけど付き合ってしまう。
ひとの心理はパラドックスに満ちているんですね。