可能かどうか・きれいかどうか、青いバラをめぐるストーリー

Watanabe.Y
ブルー・ローズという言葉を初めて知ったのは、
大学時代にテネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』を読んだとき。
語り部の文学青年の姉・ローラのニックネームが、ブルー・ローズです。
足が悪く引きこもりがちなローラは「劣等感」からぬけだせずに生きていました。
青いバラ
青いバラという言葉の響きは魅惑的ですが、なにか触れてはいけない、なにか禁断の領域があるように感じるのはなぜだろう。
事実、青いバラは、不可能の「花」とされていました。
最相葉月著「青いバラ」は、この青いバラにまつわる歴史から現代のエピソード、ストーリーをていねいに紡いでいます。
読めば読むほど、青いバラが存在しえないものであることを知ることになりますが、一方で、人は不可能だと言われることを可能にしようとする信念の強さを持つ生き物なのだということも描かれています。
「人間は、自分にはできないことはないと思っている」
青いバラの花言葉は、かつて「不可能」でした。
今では「夢なかう」へと変化し、花そのものも「夢」や「奇跡」を象徴する花となっています。
「青いバラができたとして、それが美しいと思いますか」
著者はこの問いを根底に、この著作をつなげます。
「青いバラは美しいかーー。
青いバラの青とはどんな青なのか。
空の青なのか、海の青なのか、万年筆のインクの青なのか、もっと薄い水色なのか。
花弁は一重か八重か、とがった剣弁、それとも丸弁か。
香りはどうだろう。これまでにかいだことのない新しい香りなのだろうか。それとも、香りはないのだろうか。
この世にないものが美しいかどうかなど、どうやって想像すればいいのだろう。」
可能か不可能かの問いと、美しいと感じるかどうかの感性は、また別もの。
青いバラには、どこまでいっても、なにか触れてはいけない、なにか答えの出ない領域が含まれているようにも感じます。
青いバラを思うとき、ふと、AIの今、に思いが至ります。
今まで苦労して作っていたものが、瞬時にできてしまう。
自分が思いも付かなかったことが、いとも簡単にかなってしまう。
人間がつくった美しさとAIがつくった美しさに違いがなくなり
どちらも違和感なく美しいと感じるようになったとき
もともとの自分の感性など、実は生きてきたなかで刷り込まれてきただけのものだったと気づくのかもしれません。