仕事は、空を飛ぶのと似ている
Watanabe.Y
もう3年も前に、「境界知のダイナミズム」(瀬名秀明 著)のなかで、小型飛行機の免許取得経験について書かれた文章を紹介しました。
今、自然とこの内容が思い出されてきました。
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空の上は三次元の世界だ。最初のうちは違和感の連続で、どこに目を向ければいいのかさえわからない。
飛行機の動きが自分の身体と馴染めず、気がつくと手ががちがちに固まっているということもしばしばだった。
安定させようとして押さえつけてしまうために、かえって飛行機は安定性を崩す。
回復させようとしてさらに機体が揺れる、という悪循環に陥る。
「飛行機に乗ると、誰でも半分のインテリジェンスしか発揮できない」と聞いたことがあるがまさにその通りで、これに英語のコミュニケーションが加わると、自分でも信じられないほど判断力が低下する。
しかし訓練を重ねるうちに、少しずつ自分の身体から力が抜けてゆく。
操縦桿を強く握りしめる必要はない、親指と人差し指でつまむ程度で構わない、と気づく頃には、ようやく周囲の状況が見えてくるのだ。
ちょうどそれは、自分と機体の間で閉じていた世界が、次第に窓の外へ、ラジオコミュニケーションの向こうへとひろがっていくような感じである。
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この文章を読んでイメージするのは、新たな仕事を始めたり、人とのつながりができて、自分の世界がぐーっと広がるときのこと。
慣れ親しんで、反射のように動けていた日常から、それまでとは異質の状態に放り込まれたとき。
いままで地面ような二次元世界から、空のような三次元世界にほうりだされたみたいな感じ。
「あれ、どっち行けばいいんだっけ?」
「あれ、今どこにいるんだっけ?」
「そもそもなにをしようとしていたんだっけ?」
自分は絶対的に変っていないのに、世界が変ると自分を見失ってしまうことがあります。
社会生活を日常化、習慣化していくのは、単なる慣れではなくて、感覚を再構築して新しい世界に適合していくことなのだと瀬名さんは書いています。
会社の中の自分も、まわりの変化とともに動かなければなりません。
感覚を再構築して、新しい世界に適合していくのです。
さて、楽しんでいきましょう。