「すみません」の国
Watanabe.Y
榎本博明著「『すみません』の国」
読みました。こんなことが書いてありました。
【コミュニケーションの役割について】
欧米社会と日本社会では、
欧米社会においては、 コミュニケーションは自分の意見や思いを相手にできるだけ正確に 伝えるための手段であり、 はっきりと言葉で伝えることで説得しようとする。 自分の意見や思いをストレートに押し出す。 それがコミュニケーションの役割だ。したがって、 対立意見を闘わせるディベートが盛んに行われる。
これに対して、日本社会においては、 コミュニケーションは良好な関係を保つための手段であり、 自分の意見や思いを正確にわかってもらおうという意思は乏しい。 説得しようとするわけでもない。お互いの対立点をぼかして、「 何となくいい感じ」の雰囲気を醸し出そうと努力する。ゆえに、 あえて自分の意見や思いをはっきり伝えることは避けて、 曖昧な表現に終始する。
【日本のコミュニケーションは「意思を伝える」手段ではない】
重要なのは、相手の出方を窺い、 それに合わせて自分の出方を決めること。 相手の思いと自分の思いを、 いかに調和させるかに腐心することになる。